カテゴリー別アーカイブ: こころ

没量(もつりょう)という言葉

没量という言葉を初めて知った。

没量、貨幣価値、隠者の思想

 ”いまのその、わたしはね、このまえある人にね、没量(もつりょう)というね、こういう言葉を書を書いてお渡ししたんですけども、それはなんでもその量で計るという時代ですね、今はね。なんでもお金がたくさんあればいい、いくら稼いだか、何人人がはいったか、全部それが基準になってるんですね。その没量(もつりょう)という言葉がどういう言葉かというと、昔、蓮如上人という偉いお坊さんがいましてね、そのお坊さんのところにですね、道宗(どうしゅう)という若い男が来て、ぜひ蓮如(れんにょ)さんあなたのお弟子にしてくださいと聞いたら、蓮如さんが「じゃあ、おまえこれからすぐ琵琶湖にいって琵琶湖の水をぜんぶ掻き出してくれ」と。そしたらその道宗という男が「じゃあいってきます」といってそこにある柄杓をもって琵琶湖に向かって駆け出していくんですね。それでそれを見た蓮如さんが「よしお前はなかなか見込みがある、弟子にしてやろう」と。

つまり、柄杓持って琵琶湖にいってそんなもの引き出せるはずないんだけど、だけど、そんなことは無視して、つまり量のことは無視して、彼は駆け出していった。そのことがね、わたしは今は大事なことだと思うんです。なんでも量の時代で計る時代に。”

隠者(いんじゃ)というものにも強く惹かれた。一時的な隠者。
そういう状況で自分は何を発見できるのか?

活動に参加できなかった方へのフォロー

町内活動には参加出来ない人もいる。
当然、家庭があり、稼ぎがあることが一番。
その次に町内活動への参加がある。

参加できなかったからといって自分を卑下する必要は全くない。
でも、なんだか申し訳なく思っている人もいるかも。
(自分だったら結構そう思ってしまうから)

そういう人に

  • 前回の活動の話をし(こんなことしたんだよ~)
  • また活動できる時はしよう!(次はこんな楽しい活動があるんだよ!)

とかフォローができればいいと思った。

死にたくなるくらい悩んで家から出るか、籠もるか

就活に失敗して死にたくなるくらい悩んだら、エジプトのダハブに行ってみるのもいいと思う。
http://www.aokiu.com/2012/06/06/dahab1/

を読んで思ったこと。

記事の彼はむちゃくちゃ悩んで家から出てエジプトに行った。
一方、同じようにむちゃくちゃ悩んで家から出ずにいる人もいるだろう。

「なにもしない時間」が必要だと言う。
そこで家からでるか、籠もるか。
これが分かれ道だ。

ネット、PC、スマホのせいにはしたくない。
が、家に籠もって何をしているか?

「自分自身と向きあう時間」
私達は本当に向き合っているのか?

「ストレスの昇華」と「死ぬ瞬間」の近似

先日、町内の班の懇親会で嫌な事があった。
その嫌なことの(=ストレス)の感情の変化について考えてみた。

順番としては

  1. 怒り(そんなこと言うか普通。アホやろ。ムカムカ。)
  2. あきらめ(あー、嫌だな。年寄りの飲みは。)
  3. 脱力感(寝よ寝よ。ぐたー。)
  4. 悲しみ(なんかかなしい。。。少し涙がでる)
  5. 分析(今の状態)

であった。期間的には全部で5日間である。

また、それが
「死ぬ瞬間 E.キュプラー・ロス」
に記述してある
「死の過程に対するさまざまな姿勢」
に似ていた。
その本にある姿勢は

  1. 否認と孤立
  2. 怒り
  3. 取引
  4. 抑鬱
  5. 受容

である。
この本をもう少し読み進みます。

「自分がやって欲しいこと」に対し「できていない」から問題視しているだけか

ピアノを息子は習っている。
今日久々に一緒に行くと前できていたことができていない。
ピアノが上手下手ではない。

・爪を切る
・レッスンの前に手を洗う
・挨拶をする

ということである。
前はできていた。

そして、こういうことは大事だよと夕食時に伝えた。



でも今思った。
前は無理にさせていただけかもしれない。
「自分がやって欲しいこと」に対し「できていない」から問題視しているだけか。

かれこれ長期間息子はピアノをがんばっている。
それでいいんじゃないかと。
彼は十分がんばっている。

そもそも、「考えること」と「悩むこと」は違うのです。

『孤独と不安のレッスン』(鴻上尚史著・大和書房)より。

そもそも、「考えること」と「悩むこと」は違うのです。

僕は22歳で劇団を旗揚げしました。今と違って、学生劇団からプロを目指すなんて、誰もやっていませんでした。当然、旗揚げの時は、不安でした。

早稲田大学演劇研究会という所にいたのですが、先輩が、僕に、「鴻上、劇団、どうするの?」と聞いてきました。

「今、どうしようか考えているんですよ。旗揚げしたほうがいいのか、やっていけるのか……」

と答えると、その先輩は、

「考えてないじゃん、悩んでるんだろう」

と言いました。えっ? という顔をすると、先輩は、

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「怒る。叱る」は第二感情だ

夕食を作る。
4歳の娘はいつもお喋りをたくさんしてほとんど食べない。
私はイヤになる。
「食べろ!」と怒鳴りたい。
でも我慢する。

正直に自分の感情を娘に話す。
「パパは寂しい。悲しい。
作った料理を食べてくれなくて。
もういい、と思う。
もう作りたくない、と思う。」
と。

「怒る。叱る。」という行動の前に
何故怒りたいのかを、
その感情を伝えた。

「怒る。叱る」は第二感情だ。
その前に第一感情がある。
それを自分で見つめ、伝えることが重要なのではないか?

これは「親業」という本で学んだ。

だが思えば、それが日常茶飯事だった母、妻は素晴らしい。